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恋愛、結婚の相性について




 私達は、よく人と一緒にいるときに、あの人とは気が合うけど、あの人とは気が合わないとか、あの人といると、心が和んで、何でも相談ができて安心だとか、あの人としゃべっていると、時間の経つのも忘れてしまい、その時間がとても楽しく感じられるといったことがよくあります。


 また、恋人どうしや夫婦であれば、当然、趣味が合う合わないがあったり、セックスが合う合わないがあったりもするでしょう。


 確かに、そういった相性というものも大切かもしれませんが、もっと大切なことは、相手を思いやる気持ちを、お互いが持ち続けることができ、感謝と礼節を忘れずに、つきあっていくことができるかどうかということなのです。また、相手に何か問題があっても、それを受け入れられるかどうかも大切なのです。


 夫婦の場合、よく耳にするのが、結婚する前は、私に対してとてもいい人だったのに、結婚をしてしばらくすると、相手の悪い面ばかりが目立つようになり、こんな人だとは思わなかったと、つい愚痴をこぼしたりすることが多いようです。


 これは、恋愛中はお互いに、自分のいい面ばかりを相手に見せたり、あるいは、自分の悪い面を押し殺して、相手に気に入られたいという思いで、嘘の自分を演じ、デートで無理をしたり、高額なプレゼントを贈ったりと、様々な偽りの姿をしてみせるからです。


 そして、様々な紆余曲折を乗り越えて、いざ、結婚にいたってしまうと、そこから、お互いの真実の姿が浮き彫りにされていくことになるのです。


 結婚は恋愛中とは違い、一緒に生活をしていくこととなり、当然、恋愛中の時のように、自分の本当の姿を隠し通すということはできなくなります。


 それでも、新婚中は上手くいくかもしれませんが、子供ができたり、夫婦の役割分担ができてくると、お互いに思いやりを忘れていき、相手がしてくれているのが当たり前のように感じてしまい、感謝と礼節が希薄となっていき、お互いの粗も目立つようになり、相手が問題を起こしたりすると、そのことで相手の評価を下げたり、相手が全て悪いかのように思ってしまったり、自分を幸せにするために相手の存在があるのにという、間違った夫婦感を抱くようになってしまうのです。
 当然、これでは、相性がいいとは言えません。


 では、いい相性というのは実際にあるのかと言えば、確かにそれはあるのです。それは、何も夫婦関係だけに限ったことではありません。親子の関係、会社の上下関係、友達関係、先生と生徒との関係、医師と患者との関係、ご近所との関係や顧客との関係など、様々な人間関係にもそれは存在します。それは、自然と無意識のうちに、お互いに相性をよくしようと努力ができてしまう場合です。この場合には無理はまったく生じません。


 しかし、相性が悪いから駄目なんだという考えは、結局は、意識して相性をよくしていこうという、お互いの努力がないためにあるといってもいいのです。四柱推命では、五行の相生、相剋、干合、支合などを使ったり、用神というものを使ったりしますが、星がこうなっているから駄目だとか、こうなっているからいいんだとかいうのは、人に、運勢は変えることのできないものだという、固定した運命感を抱かせることとなり、それは大変に危険なことなのです。


 人間の可能性は、目に見えている星で全て決まると言う訳ではありません。実際に努力して頑張っている人は沢山いますし、努力するから人間なのです。たとえ夫婦の相性が、四柱推命的にはよくなくても、お互いが意識的に正しい努力を重ねていけば、幸せに近づくことも可能なのです。運命鑑定家の悪い癖は、占いは絶対であると錯覚してしまうことです。占いで、この人はいい人間、この人は悪い人間と決めつけてしまえば、この世の中は、畜生の心を持った人間ばかりの世界になってしまいます。人間には皆、いい心もあれば悪い心もあるのです。星がよくなくても、頑張っていい人になろうと努力する人は立派ですし、逆に、星がよくても、要領よく生きる人はズルイ人です。人間が占いに支配されてしまえばおしまいです。占いの心得として大切なことは、占いは、あくまでも、運勢を改善するための参考として利用すべきものであり、決して、人を選別したり、その人の人格、人生を決めつけてしまったり、人の幸、不幸を看て、おもしろがったりするものであってはならないということを、しっかりと意識しておかないと、占いというものの本当の意義を見失ってしまい、本末転倒なこととなってしまうのです。


 とは言え、統計的には、やはり、危険な組み合わせというものもあるのは事実ですし、前もって、相手との人間関係が、どうなっていきやすいのかを知るということは、相手との関係で、今後、どのようなことに注意し、また、どのように対処していけばいいのかを知ることができ、占って起こるであろう悪い結果をも、覆すことも可能となるのです。ただし、それには当然、お互いの努力が必要となります。自然と無意識にお互いが支えあえる関係、つまり、相性のいい場合は楽ですが、意識的にお互いが支えあう関係を築くというのは、少なからず苦しみがともないます。それができないというのであれば、最初から相性を合わせておいた方が楽ですし、上手くはいきますが、実際に相性のいい夫婦なんて、この世にはほとんど存在しません。たとえ腕のいい占い師に看てもらっても、本人がどうしてもこの人と一緒になると決心してしまえば、後は、本人どうしの努力如何にかかってくるのです。大概の場合は、幸せから遠ざかってしまうこととなってしまいますが、それは、目に見えている星の力に引きずられてしまうからなのです。


 結婚するときは、幸せにします。幸せになりますと、口では言ってはみても、結婚が自分の描いている理想と違ってくると、そこで、この人とは相性が悪いに違いない、自分にはもっとふさわしい人がいるはずだ、などと、自分を納得させようとする気持ちが出てきて、相手の所為にしたり、相手に当り散らしたり、挙句の果ては、浮気までしてしまったりと、様々な離婚の原因をつくりだしてしまうのです。


 また,他にも離婚に至るケースとしては、最初から結婚に対して、何かしらの打算的ともいう意思が働いていて、その思いが遂げられなかった場合や、結婚すると、生理的に相手のしぐさにケチをつけて、敵視するようになる場合や、相手に変な癖があり、それに耐えられなくなる場合など、実に、様々なことが要因となり、離婚になってしまうのです。


 こういった現象は、目に見えている星の作用に、無意識のうちに、自分が乗せられてしまっているから起こってくる現象なのです。言わば、自分自身のカルマに殉じて、そのカルマに相応しい相手を選んでしまうのです。結局は、誰が悪いのでもなく、自分がそうなるようになるための、カルマを持っているんだという、納得のできない真実があるのです。


 私は、相性は観ることはできても、その人のカルマまでを変えることはできません。よく神仏に手を合わせるということを耳にしますが、神仏に手を合わせれば、大丈夫と思いたい気持ちもわかるのですが、神仏は、人の振る舞いの正しい者を護るのであって、人の振る舞いのよろしくない者に対しては、あきれ果てて護ってはくれないのではないのでしょうか。そんな都合のいい神仏は、私は知りません。いるとしたら、それは悪魔ではないのでしょうか、人に対しては、馬鹿にするような扱いをしておいて、自分は馬鹿にされないで済まそうとか、人を踏みつけるような真似をしておいて、自分だけは幸せになろうとか、そんなずるい気持ちは、本当の神仏だったら、全てお見通しのはずなのではないのでしょうか。


 少し相性から話がズレたかもしれませんが、幸せになるには、決して、神頼みだけではできないと私は思っています。自分自身の悪いところを改善する努力をし、自己改革をしなければ、いくら神仏に手を合わせていても、護られる作用に違いが出てくるのではないのでしょうか。


 五気周流の命式の人と、用神を備えている命式の人は、人の振る舞いが常識的ですから、相性もそんなに重要視してはいません。そういった人は、誰とでも仲良くしようと努力するからです。では、自分はそういった命式ではないから駄目なんだと、諦めてしまえばどうなるのか、それは、当然、幸せになれるはずもないということです。それは誰が悪いのか、それは、そういった良い命式の人と、同じようになる振る舞いを心掛けることができなかった、自分自身が悪いということです。良い相性は、お互いの努力で築き上げていくべきものであり、決して、相手にばかり求めるべきものではないと言うことです。





 
私が相性を看る場合に注意しているのは、お互いの運勢傾向と、星のやり取りができるかを看て、良い場合はそれでもいいですが、注意が必要な場合は、どういう努力が必要なのかを、具体的に指摘し、それを守ることを奨めるようにしています。決して、無理強いな鑑定はしないように心掛けています。




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