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四柱推命で鑑る、財運、金運について




 財運のことを見てほしいという方が、よくおられるのですが、四柱推命では、非常にはっきりとした形で、その人の財運がどのようになりやすいのかを、命式、大運によって、顕著に計ることができます。



 具体的には、その人の命式、大運を看なければ、判断しかねるのですが、先祖の徳分があるかないかといったことや、その人の努力できる範囲で得られる、財の限界といったもの、また、その人の努力では、なかなか財に報われにくい場合や、努力すればするほど、大きく財を手にできる場合など、様々な形があるのです。



 また、当然、財に恵まれやすい時期、失いやすい時期というのもあり、そういったことを前もって知っていれば、その人の財に対する備えといったこともでき、財による失敗を避けることも可能となるのです。



 私が判断の基準にしているのは、やはり、用神というもので、特に財星が用神となっている場合は、その用神が、どういう状態で、どの位置にあって、行運でどうなっていくのかを探ります。



 財星が用神となるのは、身旺の場合ですが、その財星が、我が身を苦しめる作用に変化したときが、危険な時期となり、我が身が弱まる場合と、我が身が旺じ過ぎる場合とでは、まったく現象が違ってくるのです。また、当然、干合などの作用や、冲、三合、方合などの影響などによって、財星と我が身とのバランスが、どのように崩れるかで、起こり来る現象を予測します。



 財星が用神としての機能を充分に果たしている時期は、当然、その期間の財運はあるといえますが、注意しなければならないのは、その時期は、20歳から40歳くらいまでで、その時期に至るまでの、本人の努力の大きさによって、手に入れる財の大きさに違いが出るということ、また逆に、財運の良い時期を、どのように努力するかによって、良い時期が終わった後に起こるであろう災いを、小さくも大きくもしてしまうということです。



 身旺でも、お金を撒きたがる人、お金をケチってケチって放さない人、お金のためなら手段を選ばない人、人と争って財を手に入れたがる人など様々おり、たとえ大きな財を手に入れたとしても、その手に入れ方や、扱い方を間違えると、結果、とんでもない事態になってしまうものです。人に喜んでもらって得た財、我が身の名誉のために、身を削って得た財、人を踏みつけて得た財、楽々と労せずに得た財など、財を手に入れる方向は様々ですが、やはり、人に喜んでもらって得た財というものは、必ず、何らかの形で残っていくものです。



 身旺は、人のために、馬車馬のように働かなければ、大きな財を手にすることはできません。自分のために、人を踏みつけたり、利用したりすればするほど、身旺が身旺になり過ぎてしまい、財星が縮んで縮んで、後々、財運が無くなってしまうのです。人に喜んでもらうことをしなければ、身旺は財が残りにくいのです。身旺は、人のために命を使っていけばいくほど、財星が生き返ってきます。実に、財は、身を養うものであり、身を亡ぼす元にもなります。よくよく心して扱わなければならないのです。



 次に、身弱の場合ですが、身弱は、身弱のままでは、はっきり言って、大きな財運は無いといってもいいでしょう。ただし、先祖の徳分といったものをお持ちの方もおられますから、そういう方は、その徳分をうまく使って、財を残していくことを考えなければなりませんし、また、身弱でも、20歳から40歳くらいまでに、大運で用神が廻ってくる方もおられますから、そういう方は、その時期までの努力の仕方が大切ですから、その時期までに、その運に乗れる準備をしておかなければなりません。



 問題は、身弱で用神がいい時期に廻ってこない方が、多々おられるということです。そういう方は、本人の努力でしか、財を身につける方法はありません。財との縁ができにくい、財星が大きすぎる、他力本願、無責任、義務を果たさない、継続性がない、直ぐに諦めてしまう、いい加減、行動力が小さい、計画性がない、間違った努力をしてしまう、災いに遭いやすく、それを乗り越えていこうという気概に欠ける、また、仕方のない場合では、健康に問題があるなど、身弱の場合、そういったことが原因で、財が身につかないのがほとんどです。こういった方は、人につけ込まれやすく、利用されたり、騙されたり、切り捨てられたり、なかなかに食べていくのにさえ事欠くようになる傾向があり、余程しっかりとした生き方をしていかないと、命さえも縮めてしまう可能性があるのです。身弱の場合、何が財の災いの入り口になっているのかを判断し、それにひっかからないように注意しなければ、簡単にひっかかって、身動きがとれなくなってしまいます。身弱は、人に頼ったら必ず酷い目にあいます。財についてもそうなのです。人を頼みとしなくても生きていける自分を、しっかりとつくっていかないと、最後に人の所為にしても、どうにもならないのです。自分にも悪いところがあったから、そうなってしまったということで終わってしまうのです。



 私は、財運に関しては、極力、はっきりと相手に伝えるようにしています。それは、財運に恵まれないというカルマだけは、金欠病だけは、どんなに手を合わせていったとしても、神仏でさえも、そう簡単には、解けないものだからです。たとえどんなに努力して財を手に入れたとしても、そのカルマが効いているうちは、必ず、何らかの問題が発生し、財が手元から離れていくことが起こってしまうものです。こればかりは、どうすることもできません。ただし、自分の悪いところを改めて、人としての立派な振る舞いができるようになり、正しい行動さえとれるようになれば、また、それと同時に、正しい神仏に手を合わせていけば、いつかその金欠病も治るかもしれません。それでも、かなり時間がかかるということです。私は、相手に変な期待感は持たせぬように、四柱推命で出た答えを、はっきりと言うようにしています。そして、被害を最小限にするには、どういったことをすべきかを、お伝えさせて頂くつもりです。ただ、すでに被害が出てしまっている場合は、もうどうしようもありません。私は、財運があるかどうかを看ることはできますが、魔法使いではありませんので、その人をお金持ちにする術など持ち合わせてはおりません。ただの占い師です。そのことは、はっきりとお断りしておきます。



 最後になりましたが、財を身に引き寄せる一番の方法は、当たり前のことですが、自分が労働して手に入れる方法が、一番正しい方法で確実であるということです。そして、金欠病だけは、本当に治り難い病気だということ、決して魔法をかけたように、財を簡単には手に入れることはできませんし、たとえそれができたとしても、その財は、いつか必ず、手元から離れていくことになってしまうのです。世の中そんなに甘くはないということです。やはり、しんどい想いをしなければ、お金なんて手に入れることはできませんし、人を不幸にして、その上で自分の幸福を築こうとしても、必ず、病気になったり、身内に災いが起こったりして、お金以上のものを失ってしまうことになるのです。たとえ四柱推命的にいい星になっていたとしても、そういった生き方をしていれば、結果として、運勢を食い潰してしまうことになってしまうのです。それは、たとえ用神がいい働きであっても、わざわざ悪神を呼び覚ましてしまった愚行を、自らが犯してしまったがために起こった結果と言えるでしょう。用神も自分で大きくしていくことができますが、当然、悪神も自分で大きくしていくことができてしまうのです。決して、運勢がいいからといって、油断をしてはならないのです。そういうことも起こるのです。




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