でんわ占い青蓮華   


幸福になるための、あなたに合った開運方法を、電話占いで御教えします。

人生を失敗しないために、災難を回避するために、先ずは自分を知ることが大切。
結婚、恋愛の相性占い・仕事運などで御悩みの方・運勢傾向を知りたい方。
先ずはお気軽にお電話ください。

電話番号079-451-7839
鑑定師 親鷲春慶(おやわし しゅんけい)
URL http://shoorenge.web.fc2.com/
鑑定日時は金曜日から火曜日は下記の時間 水、木曜日は、午後17時00分から午後21時00分まで。
電話鑑定は、午後13時00分から午後21時00分まで、
対面鑑定の予約が入っている場合は、午後17時からでないと、電話鑑定はできませんので、ご注意下さい。
下記のお知らせを参照して下さい。

お知らせ
電話鑑定は、通常どおりです。

住所
 郵便番号671-0121兵庫県高砂市北浜町牛谷458-8
人生のを知ることは、運勢改善の第一歩です。

プロフィールアイコン

料金、お支払方法アイコン

鑑定法、注意事項アイコン


個人情報保護について・特定商取引に基ずく表記
誰でもできる開運法とは・・・。 私のちょっとした開運方法 四柱推命で看る財運(金運)について
結婚の基準・適職、仕事   恋愛・結婚の相性について  四柱推命の不思議


四柱推命のこと


四柱推命とは、簡単にいってしまえば、生年月日時の干支を出して、生まれた日の干を自分とし、
その干の意味するものが、どのような状態になっていくかで、様々なことを推考していく占いです。
ただ、実際に鑑定するには、様々なことを知らねばならず、また、巷には様々な理論が溢れかえり、
四柱推命は複雑でわかりにくいとされているのが現状のようです。
また、本場とされる中国では、共産主義によって、四柱推命はとっくに消えてなくなっており、
江戸時代に我が国に伝わった四柱推命も、間違った解釈が多く、阿部泰山先生の頃に、関西方面で研究が盛んとなり、
そこから様々な流派が生まれ、今日の四柱推命の形が出来上がっていったのです。
そこで、香港、台湾、韓国などの推命家達は、日本の四柱推命の方が研究が進んでいることに目をつけ、
本物か偽物かもわからぬままに、日本の四柱推命を学ぼうとし、それら外国の推命家達が著したものを、
更に日本の研究家達が、それを本場の四柱推命と思い込み学ぼうとする、そこに益々混乱を引き起こす要因が生まれ、
益々四柱推命がややこしくなっていくのです。今後も四柱推命には、様々な理論が付け加えられていくのでしょうが、
大切なのは、決して人を苦しめる鑑定をしてはならないということです。これは、泰山流直門の緒方泰州先生が、
常々弟子達に言っておられることで、自分はなんでも知っていると自慢げに鑑定をし、人を追い込んだり、傷つけたり、
悩ませたり、落ち込ませたりしては、鑑定家としては、失格であるということを、肝に銘じておかなければならないということです。
たとえ鑑定家ではなく、研究家と称する人であっても、よくよく心得ておかなければならないことなのです。
私が思うところでは、人を苦しめているものの一つに、空亡というものがあります。
空亡には、実に、様々な説があります。例えば、吉星が空亡すればよくないとか、
悪神が空亡すればかえってよいとか、合や冲で真空が半空になるとか、自空、坐空が少し解けるとか、
三柱が空亡すればよい命式となるとか、同一旬空亡はよい相性であるとか、大運も空亡をとるとか、とらぬとか、
流年で空支と同じ支がくれば、空亡が解けるとか、もう数え上げればきりがないぐらいに様々な説があって、
四柱推命を勉強する人なら、誰でも嫌気がさすぐらいに、沢山のややこしい理論が存在し、本来の星の持っている特質を、
見失いやすくしてしまっている要因となっているのです。こういった空亡説は、百害あって一利なしです。実際に鑑定に
取り入れていくと、様々な間違いを起こしやすく、四柱全体を看るという本来の四柱推命から、かけ離れた見方をしてしまう事となり、
大運、流年で来るチャンスまでも、失わせてしまう結果になりかねないのです。
空亡は、四柱推命を勉強するのに、知識として知っておくにはいいのですが、実際に使うとなると、人の鑑定ができなくなり、
場合によっては、人を不幸にしてしまう恐れさえあるのです。
私は、空亡で、干支の力が無くなるなどとは考えてはいません。そんなことは鑑定をしていくと、はっきりとわかるはずです。
どうしても使いたいという人には、私は何も言いませんが、空亡は、知識として知っておくにとどめておいた方が賢明だと思います。
次に相性を看る場合ですが、合、や相生、相剋によって相性を考えるのも一つの方法かもしれませんが、
実際に鑑定をしていくには、もっと大きな視点から考えていかないと、結果として、とんでもない間違いを犯してしまいかねない
ということです。夫婦となっても、一方が一方的に我を通したり、感謝しなかったり、責任をなすりつけたり、
利害が絡んでもめたり、浮気が原因で喧嘩になったり、考え方の相違で相手を嫌悪したり、
セックスが合わなかったり、借金問題が発生したり、身内の問題が絡んできたりと、実に様々なことが要因となり
夫婦関係が崩壊してしまうことが考えられるのです。そういったことが起こったとしても、お互いに助け合えるパートナー
でいられるかどうかを考えた上で、相性も看ていかなければ、無責任な鑑定となってしまうのです。
やはり四柱全体を見比べて、大運で起こりうる現象を鑑みながら、どうしていけばよいのか、どういう努力が必要なのか
までを考えて鑑定をしていかなければ、本当の相性を看ることはできないのです。
私は、相性を看る場合でも、無理にこちらの考えを押し付ける鑑定はしていません。どうしてもこの人と一緒に
なりたいというのであれば、それはそれで仕方のないことですから。ただ、この時期にこういうことが起きるかもしれませんから、
こういうことには気をつけてくださいね、ということは言ってあげます。無理強いな鑑定はやるべきではないし、最後は、本人が
決めるべきものだと思っているからです。

最近では、コンピューターで簡単に相性が占えるようになってはいますが、はたしてどうかと思います。
まあ、何を信じるかは個人の自由ですから、どれがいいとか、悪いとかは言いません。
ただ、四柱推命とは、今後も時代と共に変化していくものであり、人を幸せにするものでありつづけなければならないということ、
その義務と責任が、我々推命家と称する者には、あるということです。

四柱推命を理解しよう

四柱推命には、様々な専門用語があり、それらを知らぬことには、四柱推命を理解するのは難しく、逆にそれらを理解し覚えてさえしまえば
後は四柱推命の勉強が、だんだんとおもしろくなってきますから、四柱推命を理解するには、

勉強が苦手でも、しっかりとそれらを理解し、頭の中に叩き込まねばなりません。
先ず、我々現在人がとっつきにくいのが、干支というもので、甲から始まる十干と、子から始まる十二支を組み合わせてできたもので、
六十通りの干支の組み合わせがあります。そして干支暦というものを使って、生まれた年、月、日、時間の干支を出し、
右から左へ縦に、年柱の干支、月柱の干支、日柱の干支、時柱の干支と書いていき、運勢を計る基となる命式ができるのです。
その命式の中の日柱の干を自分とし、その日干(自分)を基準に通変星を導き出します。
その通変星と言うものですが、日干(自分)に対して生じてくれる関係のものを印星と呼び、日干を剋す関係のものを官星と呼び、
日干に剋される関係のものを財星と呼び、日干から力を漏らす関係のものを洩星と呼び、日干と同じ五行の関係のものを自星と呼びます。
要は、木火土金水の五行の関係を、通変星と言う呼び方で言い表しているだけのことです。
例えば、日干を木の五行の甲とした場合、水の五行は、水生木と日干を生じる関係ですから、水の五行は印星と言うことになります。
他の星も同様に考えていけば理解できることと思います。そしてそれらを陰陽に分けて
印星なら印綬、偏印。官星なら正官、偏官。財星なら正財、偏財。洩星なら食神、傷官。自星なら比肩、劫財。と呼んでいるのです。
命式ができたら、次は、大運というものを出さねばなりません。大運は、十年ごとに動いてくるもので、月の柱の干支を基に、順行、逆行して流れていきます。
男性は、年柱の干支が陽干支であれば、順行運として流れ、陰干支であれば、逆行運として流れていきます。
女性はその逆で、年干支が陰干支なら順行運で流れ、陽干支なら逆行運で流れていきます。

次に、その大運が、数え年の何歳から始まるかを計算して出すのですが、
順行運なら、誕生日から数えて、次の月の節入りまでの日数を、三で割った数となり、
逆行運なら、誕生日から数えて、その月の節入りまでもどった日数を、三で割った数となりますが、
割り切れず余りが出た場合はどうかというと、四捨五入して考えます。
例えば、割って出た数が余り一の場合は、切り捨てて考え、余り二の場合は、切り上げて考えます。
また、特殊なこととしては、節入りまでの日数が、三日未満で、三で割り切れない場合がありますが、
そういった場合は、一歳立運で考えればいいと思います。流派によっては、細かく何ヶ月と出したり、
節入りまで一日半未満の場合は、十歳立運としたりするようですが、私は一歳立運で考えています。

これで鑑定する上での、基本中の基本の形が整うわけです。
先ずはここまでスムーズにできるようになることです。これは、誰でも、慣れればすぐにできるようになります。
ここから、日干の旺、衰、五行の太過、不及、合や冲などをみて、用神(幸せになるために必要な星)を定め、判断していきます。
日干の旺は、日干が月令(日干と同じ五行の月に生まれること)を得ていて強い場合や、日干と同じ五行が多かったり、
日干を生じる印星が多かったりすればそうみます。これを身旺と言います。
日干の衰は、日干が月令を得ていない場合や、日干の力を弱める五行が多かったりすればそうみます。これを身弱と言います。
身旺は運勢を切り開く力がありますが、身弱はその力が足りません。
先ずは、日干の身旺、身弱を見極め、そこから用神となる星を定めていきます。ただし、用神が一生同じ星とは限りません。
五行の太過とは、ある五行が多すぎることを言い、不及とは、ある五行が少なすぎることを言います。
基本的には、四柱推命では、五行のバランスを大切に考えているので、太過、不及は命式の病となります。ただし、
命式によっては、特に五行が揃っていなくてもいい場合もあり、忌神などは、たとえ一つ付いているだけでも邪魔ですから、そのようなものは最初から無い方がいいのです。
五行の太過、不及も、日干の旺、衰にかかわる関係ですから、それらを特に分けて考える必要はないです。
合には、干合、支合、三合、半会、方合とあって、実に様々な現象を起こさせます。また、命式の五行のバランスが大きく変わることとなり、
大運などで局を結べば、命式の中の星の力関係も大きく変わり、日干に対する周囲の星の作用までもが変わってしまいます。
日干に対し、それまでは悪い働きだった星が、よい働きになったり、よい働きだった星が、悪い働きになったり、
悪い働きだった星が、更に悪い働きとなったり、局を結ぶときは十分に気をつけなければなりません。
冲についても同様に、様々な現象が起こり、命式の中の力関係に影響を及ぼします。
日干の旺、衰、五行の太過、不及、合や冲をみて、用神を定めるのはもちろん大切なのですが、それよりももっと大切なのが、
調候用神(日干を役立つ状態にするために必要な星、用神も喜神も含めた総合的なもの)というもので、
これを真に理解されているのは、泰山流直門の緒方先生しかおられませんが、
この調候用神が全て揃わなければ、楽々とは幸せにはなれないのです。これは、日干と生まれた季節、命式の五行のバランスで
考えていくものであり、また、日干が世の中の役に立つ状態になるには、どういった星が必要なのかといったところから
導き出すものなのです。これを知らねば四柱推命を本当に理解したことにはなりませんし、
四柱推命の醍醐味、真髄は、まさに、ここにあると言っても過言ではないのです。
この調候用神をしっかりと勉強したい方は、泰山流四柱推命学会の教室で勉強して下さい。緒方先生は何でも教えてくれますし、
教え方も大変丁寧で、話上手で、誰にでも理解しやすいように教えてくれます。質問してもお金なんか取ったりはしませんから
安心して勉強ができます。月謝の分は十分教えてくれますよ。話をもどしましょう。
さて、この調候用神は、用神と重ねて考えてもいいのですが、実際には調候用神が全て揃うということはほとんどありません。
特に、命式が極端に偏っている場合などがそれです。
例えば、身弱で日干が極度に弱っている場合などは、先ず、日干を生扶する星が必要で、その星を先ず用神とし、
大運などでその星が強くなるときを、開運努力のチャンスとみます。大概は印星であったり、地支の通根であったりします。
また、身旺で日干が極度に強過ぎて、抑える星、洩らす星が弱っている場合や、まったく無い場合などは、
その星が強くなるときを開運努力のチャンスととらえます。大概は官星と官星をたすける星(財星)か、食神、傷官のどちらかです。
ただし、日干によっては官星よりも財星を喜ぶ場合や、日干と命式の形によっては官星、財星、食神、傷官のどの星も嫌う場合があります。(日干木で、水気がない形)
こういった偏った命式の人は、調候用神が全て揃うことを待つよりも、先ず、調候用神の中で、その命式にとって一番重要な星を用神とし、
チャンスの星ととらえなければなりません。
何故なら、大運で調候用神がいっぺんに来ることはほとんどないからです。では、調候用神が揃わなければ絶対に幸せにはならないのかといえば、そんなことはありません。
調候に足らぬ星があるのであれば、後は本人の努力で、調候に必要な星をつくっていけばいいのです。
調候用神が全て揃っている人などほとんどいませんし、例え揃っている人でも、大運で調候用神が力を失う時期もあり、
また、大運で全てが揃うという人であっても、時期がありますし、期間限定となってしまいます。
結局は本人の努力で、調候用神が揃っている理想の命式に、自分自身を近づけていくしかないのです。自己改革していくしかないのです。
調候用神は、あくまでも、命式の理想の形を示すものであって、その理想の形に近づくための努力の方向性を示してくれる指針と言えるのです。
調候用神が揃っていないから自分は駄目なんだと諦めるよりも、調候用神が揃っていない自分であっても、
調候用神が揃っている人と同じようになる努力をして、ここまで運勢をよくすることができたと、
胸を張って言える自分になる方がはるかに立派なのです。それはすごいことなのです。
用神がある人は、自然と正しい努力をし、幸せになるチャンスにも恵まれています。それに比べて、用神の無い人、用神の足らぬ人は、間違った努力をし、

幸せになるチャンスにも恵まれにくく、災いにも遭いやすいのです。これは大きなハンデです。しかし、そのハンデを乗り越えていくところに、
人間としてのすばらしさがあるのではないのでしょうか。何一つ辛い経験をせずに幸せになる人間よりも、辛くても頑張った人間の方が、はるかに輝きを放ちます。
外格のような特殊な命式でない限りは、命式の如何に関係なく、調候用神は必ず出さなければなりません。
それは、調候用神が単に吉凶を判断するためのものではなく、幸せになるための努力の方向性を示してくれる、とても重要なものだからです。
調候用神は、幸せになるための星でもあり、その幸せをつかむための、努力の道を示してくれる大切な星であると言えるのです。

四柱推命は単なる占いではなく、実に、人間の正しい生き方を示唆してくれる学問であり、
人が幸福になるための、努力の方向性を示してくれる学問であるということが確信できます。
まだまだ書きたいことは沢山あり、もっとわかりやすい説明を加えるべきだと思いましたが、なにぶん文才には恵まれておらず、
今回はここまでとさせていただきます。今後も四柱推命に関する様々なことを書いていきたいと考えてはいますが、
言える事、言えぬ事があり、言える事のみ書いていくつもりですので、今後とも、よろしくお願いいたします。
読んでいただき、ありがとうございました。気ままに続く・・・


トップへ

調候用神とはどんなもの

四柱推命では、調候用神が非常に大切であることは前にも述べましたが、実際に調候用神がどんなものなのか、
もう少し具体的にお話しすることといたします。
実は、世間一般的に言うところの調候用神は、本当の調候用神とは、ずいぶん違うものなのです。一般的に調候用神と言えば、
日干の生まれた季節によって、日干が世の中の役に立つために必要とする星を言います。
例えば、秋に生まれた甲木は、伐採に最適の時期ですから、庚の斧で伐採されて、世の中の役に立つ木になると考えられていますが、
実際には、秋生まれの甲木の人にとっては、庚はまったく悪い作用しかしないのです。私が勉強した
泰山流直門の緒方先生の調候用神のとり方では、庚は忌むべき星であり、日干の甲木を世の中の役に立つ星にするどころか、
日干の甲木を苦しめる作用しかしないのです。
緒方泰州先生は、若年より、泰山流の諸先輩から奥義秘伝を継承され、また、他流の推命学を研さんされて、
それを実際の鑑定に用いて、四柱推命の嘘の部分を明らかにし、独自の研究によって、正しい四柱推命の姿を模索し、あみ出されました。
特に、緒方先生は、学生時代は、周囲が驚くほどの猛烈な勉強家で、東洋の文化、歴史の文献に精通し、四柱推命の原書も容易く理解ができ、
若年にしてすでに、四柱推命の本当の用神論を完成されました。そのなかでもすばらしい理論が、調候用神十干鑑法で、
本当の調候用神のとり方なのです。
例えば、前例の秋生まれの甲木の人にとって、何故、庚は使えないのか、いったい、何が、本当に日干を世の中の役に立つ状態にしてくれるのかというと、
それは、命式の形によって、二通りの考え方ができるのですが、一つ目の考え方としては、秋月といえば、戌月以外は申酉の金の五行の強い時です。
すでに庚が強いです。庚はすでにあります。これ以上金は必要ありません。
もう庚からは逃げられませんから、申酉の金に切られても、木が世の中の役に立つためには、先ず、木が大きく、太く、真っ直ぐでなければなりません。(この星は自分でつくること)
そして、切られた丸太は、ひび割れして曲がらないようにしなければなりません。そのことを先ず考えて下さい。
木が大きく、太く、真っ直ぐであり、尚且つ、ひび割れを防ぐ処置が施されていれば、その人は、辛くても逃げずに頑張って、立派に生きようとするでしょう。
しかし、本当はもう一つ星が欲しいのですが、大事な事から言うと、順番は、木が大きく、太く、真っ直ぐで、ひび割れの処置がされていること、
その上でもう一つの星があれば、その人は自然と幸せになれるのです。この鑑定法は死木の場合です。
実は、もう一つに、生木の鑑定法があるのですが、それは死木とは違い、寒木向陽を考えていくものですが、死木も生木も用神は同じと考えてもいいと思います。
え!!、いったい死木と生木はどう違うのか!?ですか、それは・・・です。ヒント、死木はすでに切られた木です。性質がまったく違います。
それと、命式によっては、庚丁か辛を使わなければならない場合もあるということを、一言付け加えておきます。ただし、これは生木のみとなります。
注意しなければならないのは、この月に生まれた死木は、一番大事な用神が廻ってくるのに、40年から60年後位先となってしまうことです。
若いうちに自分でその用神をつくっていく努力をしないと、人生取り返しがつかなくなってしまうのです。これもヒントです。
ずいぶん意地悪な解説とお思いの方もおられるとおもいますが、その答えを言ってしまえば、月謝を払って緒方先生の授業を受けた生徒さん達が損をすることになるので、
それは言えません。悪しからず。
本当のことが知りたい方は、緒方先生に教えていただくか、自分で答えを探して下さい。
もう一つ例を挙げてみましょう。夏生まれの日干が丙の人はどうか、これを考えていきましょう。
先ず夏の巳午未月は非常に暑い時です。その暑い時の太陽は暑くて暑くていい加減にしてくれと言いたいくらいです。
そこで、普通暑い時だから
(喜神)が調候用神と考えてしまいがちですが、確かに水も調候用神の一つには違いありません。が、しかし、
ただ暑い時だからといって、安易に水の官星を使えばそれでいいとは限りません。
これも命式の形によりますが、命式に最初から水が付いている場合は別として、命式に一点の水もなく、火が強すぎる場合は、いきなり水を使うと、
とんでもないことになってしまいます。それに、たとえ水が最初から付いている命式であっても、火や土や木が強すぎれば、 水はすぐに涸れてしまいます。
そこで、水源となる雨雲が大切になってきます。太陽が強すぎる場合に一番必要なのは、水源となり、太陽の熱をさえぎってくれる雨雲の役割をする星です。
壬癸ではありませんよ。間違えないで下さいね。
また、夏月だからといって身旺とは限りません。夏月でも、水の官星が強すぎれば、身弱(身旺の身弱)と考えなければなりませんから、
その場合は、夏月であっても、冬月に近い命式として、調候用神を考えなければならないのです。
また、大運によって、命式の五行の力関係が変わってしまえば、当然、その時は、調候用神も変化させねばなりません。
そのことも踏まえて、調候用神を導き出さなければならないのです。
以上簡単ではありましたが、緒方先生の調候用神の考え方と、一般的な調候用神の違いの説明とさせていただきました。
何度も言うようですが、本当の調候用神が理解したい方は、緒方先生に直接習われることをおすすめします。
緒方先生が完成させたのは、調候用神十干鑑法だけではありません。他にも沢山のすばらしい理論があります。
是非この機会に、緒方先生の下で勉強して下さい。それが、四柱推命を理解する一番の早道です。
次回は調候用神の意味する努力の方向性について、若干触れたいと思います。

調候用神の意味する努力の方向性

さて、今回は調候用神の最大の意義でもある、幸せになるための努力の方向性について、少しだけお話をさせて頂きます。
前にやった甲日秋月生まれの人を例に話を進めます。
甲日秋月、特に、申酉月生まれは、死木、生木に分けて考えましたが、用神は、死木も生木も同じだと説明しました。
はっきりと言えば、死木も生木も努力の方向性は同じであるということなのです。ただ、
死木より生木の方が、幸せになる努力が少しだけ少なくてすむというだけのことです。それは何故なのかと言えば、
死木は責任感が薄く、根気もなく、庚(偏官星)に意地悪をされると、すぐに逃げようとし、そんなに悩むこともありません。
一方、生木は多少責任感があって、根気もあり、庚(偏官星)に意地悪をされても、すぐには逃げ出さず、何とか頑張ろうとしますが、
最後は精神的に追い詰められてしまいます。
死木は将来についてあまり深くは考えませんが、生木は深く悩んでしまい、精神的に辛い思いをします。
死木は精神的には追い詰められませんが、最後に身動きがとれなくなってしまいます。
生木は周りの人の励ましや、支えがしっかりとさえしていれば、まだ、助かる可能性がありますが、
死木は周りの人の励ましや支えがしっかりとしているだけでは、はっきり言って助からないのです。では何が違うのか!?
その答えは簡単です。自力で助かろうという気持ちがあるかないか、ただ、それだけのことです。
その自力で助かろうとする気持ちとは何か、それが一番大事な用神のことなのです。
木が大きく、太く、真っ直ぐでなければならないということなのです。もっと言えば、
自力で行動もし、義理や責任を忘れず、根気強く、努力し、逃げ出さず、諦めず、心が曲がってしまわない人であること、
これが一番大切な用神の意味です。次にそれにプラスして大切なのが、
ひび割れを防いで、木が曲がらないようにする処置。これは、計画性と用心深さをもつこと、さらには、
食べていける技術、資格を持つことなのです。これは、死木の人に言えることですが、
庚に切られても(学校を辞めたり、仕事を辞めたり、結婚生活を諦めたりした状態)、木がまだ使える状態であれば、人はまた使ってくれますが、
庚に切られて、木が貧弱(努力を忘れ、根気もやる気もなくして、楽な事ばかりを求める状態)な上に、
木が曲がってしまえば(ひねくれた上に、何のとりえもない状態のこと)、もう、誰もその木を使ってくれなくなります。
そうならないために、それらの用神の努力が必要なのです。
では、生木の人はどうかというと、生木の人であっても同じことなのですが、死木よりも自力で助かろうという気持ちがありますから、
庚(偏官星)の試練に負けないよう、いっそう努力することと、そして、やはり自力でも行動し、義理や責任を忘れず、根気強く、努力し、逃げ出さず、諦めず、
心が曲がってしまわないように頑張らなければ、庚(偏官星)の試練に負けてしまいます。庚は常に性根を腐らせようとしてきます。
庚(偏官星)の試練に負けてしまうと、生木といえども死木と同じになってしまいます。
生木は、まだ、木に根っこが残っている状態(学校を辞めず、仕事を辞めず、結婚生活を諦めない状態)ですから、
その根っこを大切に大きく大きくしていくことが、一番大切な用神づくりになります。
そして、程よい雨の潤いと、太陽の光熱があれば、寒木向陽となって、大木へと成長ができるのです。
雨の潤いは、計画性と用心深さ、そして、食べていける技術、資格です。
太陽の光熱は、自然と人に優しく親切にでき、朗らかに物事を考え、そのために人にもかわいがられ、結果、木を真っ直ぐに大きく成長させてくれます。
この申酉月に生まれた甲の人に言えるのは、
死木であっても、生木以上に頑張れば、大木にだってなれますし、生木であっても、頑張れなかったら、死木のようになってしまうということです。
要は、どちらであっても、庚の災いから逃れるためには、諦めずに、一生最後まで頑張り通さなければならないということ、
そうしなければ、幸せにはなれないということです。
ちなみに、死木で最後に更にもう一つ星があればいいと言ったのは、災いの庚を大きくさせないために、人にも優しく親切にする努力をするということです。
ただし、死木の場合この星は、一番大切な用神を、二つしっかりと持つことができたらの話です。
以上、簡単ではありますが、調候用神の努力の方向性について、一例を用いて説明させていただきました。
もう少し簡単な例を引いてやればよかったかもしれませんが、
調候用神の努力は、日干(自分)が世の中の役に立つには、人に必要とされるには、幸せになるには、どういった正しい努力をすればいいのかを示してくれる、
人生の羅針盤のようなものだとわかっていただければ幸いです。
調候用神には、まだ、様々な使い方がありますが、そのことは、おいおい書くかもしれません。

トップへ

四柱推命の色々なこと

ここからは、四柱推命について、私が思うこと感じたことなど、私なりの考えを少々書いていきたいと思います。また、
四柱推命を様々な角度から見ていき、四柱推命には、まだまだ、様々な深い謎めいた要素と、解明されていない要素などが存在していることを知っていただくと同時に、
そういった四柱推命の部分を解き明かし、探求するといった楽しさを知っていただけたらとも思います。
先ず、誰もが四柱推命と言えば、中国発祥の占いであるということは、ご承知のことと思いますが、
残念ながら、中国の四柱推命は、現在は、手がかりになる文献を残すのみとなり、その文献の解釈によって、
様々な考え方が生まれ、現在でも、その謎めいた答えを探求しようとする研究者達が後をたちません。
中でも、滴天髄、窮通寶鑑、子平真詮は有名で、泰山流直門の緒方泰州先生も、この三つの原書は、とても重要だとおっしゃっていますが、
はたして、これらを書いた作者達自身が、どこまで理解していたのか、わざとわかりにくいように書いたのか、疑問に思われるそうです。
前にも書きましたが、緒方先生は、大学時代に東洋史を専攻され、そういった類の文献を読み解く技術に優れており、
原書に対する注釈もすばらしく、中でも、滴天髄輯要は大変理解しやすく書かれており、非常に役立つものです。
是非、四柱推命を研究している人々には、読んでいただきたい書です。
そもそも原書を読み解くというのは、やはりその道の専門家でなければ、とうていできない技術であり、中国の歴史、文化に精通している人でなければ、
本当の解釈などできるはずもないのです。緒方先生の存在は、四柱推命の発展に、なくてはならなかったと言っても過言ではないのです。
ただ、緒方先生もそうであられるように、そういった東洋の原書を研究する高度な知識を持った専門家達にとっては、
四柱推命の原書程度のものは、難なく読めるものであり、特別に大事な学問でもないので、
これまで深く研究しようという専門家がいなかったために、素人同然の者達が、それらを研究し、その成果を発表したがるにいたったのでしょう。
緒方先生は、四柱推命の原書崇拝主義は、かえって混乱を招くことになるとして、参考程度に資するべきだと言われています。
ところが、現在でも、どこの流派にも属さぬ研究家達が沢山増えてきて、原書から学ぼうとして頑張っており、
何とか四柱推命を理解しようと試みているように見受けられます。
四柱推命の原書には、それだけ人を虜にする不思議な魅力があるのかも知れませんが、
原書のみを解き明かすことに躍起になって、肝心な、人を鑑定するということの大切さを見失ってしまえば、
机上の空論となってしまいます。
そうならぬようにするには、原書といえども疑ってかかり、実際の鑑定と原書との違いを精査し、使える理論を生み出さねばなりません。
緒方泰州先生は、先んじてそれを実践され、洗練し、本当の四柱推命を完成されました。
その功績は、時代が経っても色あせることなく残り続けるに違いないでしょう。
原書を紐解くのは確かにおもしろいかもしれませんが、それは、泰州先生の注釈書を読んだ上でなさった方が、理解が早いと思います。
なかなか本は手に入りにくいかもしれませんが、一度読まれると、泰州先生の実力に圧倒されることになり、
これまで見えにくかったものが、見えやすく思えるようになることは請け合いです。
原書を勉強するなら、泰州先生の書から始めるのが一番だと、自信をもっておすすめします。
また、自分なりに中国の歴史、文化などを勉強して、四柱推命の生まれた時代背景や、どういったことに利用され、
どういった人々に用いられたのかなどを考えていくと、また、違った意味で、四柱推命がおもしろく感じることができるかもしれませんし、
その当時の人々の社会構造、生活様式などを調べることで、意外なヒントが見つかるかも知れません。
ただの当てもの的な占いとして勉強するよりも、そうやって視野を大きくして勉強していったほうが、四柱推命のとっつきにくさに惑わされることなく、
自然と頭の中に、四柱推命という学問が溶け込んでいくような気がするのです。
最近では、そういった資料は、図書館や書店にも沢山あり、インターネットなどでも簡単に調べることができるようになりました。
ちょっと視点を変えて四柱推命を研究するのも、楽しく勉強するひとつの方法かもしれません。
中国には、四柱推命の原書を書いた人間は沢山いたようですが、そういった人々が、どこまで知っていたのか、
また、四柱推命は、はたして完成されていたのか、その途上だったのかは、
はっきり言ってわからないようです。それは、四柱推命の謎と言ってもいいかもしれません。
そこに、四柱推命の不思議な魅力が潜んでいるのかも知れません。
気ままに続く・・・
四柱推命の不思議




開運方法の考え方
 よく占いは、当たってなんぼと思われがちですが、よいことは当たるとうれしいものですが、悪いことが当たってしまうと、人は益々落ち込んでしまい、開運どころか、閉運へと流されてしまいます。では、悪い運気の時は、どう対処すればよいのでしょうか。それがなかなか自分ではわからないものなのです。人は、それぞれに違う運気をもっています。まったく同じ人間はいないように、まったく同じ人生を歩んでいる人は一人もいません。みんな、環境も違えば、家族構成、友達関係、恋愛相手などの人間関係も違います。そこに、人生のおもしろさ、人生の不思議さといったものがあるのかもしれません。しかし、人は、皆、それぞれに幸福になりたいと願い、その為に行動を起こし、成功したり、失敗したり、傷ついたり、悩んだり、時には、思いがけずに、病気になったり、怪我をしたり、人生には、実に、さまざまなことが起こります。そういった予期せぬことや、成功への秘訣、失敗を避ける方法、傷ついた時の気持ちの切り替え方、悩みの解消策等、それらを解決する為に発展してきたのが、運命学なのです。ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、占いは、当たればそれで終わりではなく、よい時はどうあるべきか、悪い時はどうあるべきかを明確に示し、その人の持ち味を生かすための、アドバイスをしてあげることこそが役割なのです。ただ、いかに占い師が優れていても、注意したことを守らず、自分の判断で行動し、その結果を他人の所為にしたりするような人は,間違いなく、運を自分から壊していくタイプの人間です。こういった人の開運は、絶対に無理だと、はっきりと言っておきます。開運するには、先ず、自分自身の運勢傾向をよく知らなければなりません。その上で、問題をどうとらえ、的確に行動するかが大切になってきます。ただ漠然と人生をとらえ、自分さえよければ、それでよいと言うことでは、必ず、閉運に流されていきます。きちんとした計画をしっかりと立て、人とのかかわりを大切にし、自分にはどんなことができるのか、自分はどのように思われているのかを、常に意識して、目標に向かって行動していかなければ、開運など無理なのです。自分の境涯を変える努力をしなければ、本当の意味での開運につながりません。自分自身が変わらなければ、人とうまくかかわっていこうと努力しなければ、人のために行動もしなければ、何一つ自分にはすばらしいものはかえってこないのです。夫婦であれば、妻のため、夫のため、子供のため、会社であれば、顧客のため、社員のため、教師であれば、生徒のため、医師であれば、患者のため、政治家であれば、国民のためにと、自分の命を使っていく、そこにこそ、真の幸福が生まれるのです。ずいぶん偉そうなことを言いましたが、本当の意味での開運法と言うのは、そういうことなのです。
 もうどうしようもないと諦めてしまう、自分はどうせ運が悪いんだ、運のいいやつには敵わないんだと、自分の限界を決めてしまう,それでは、何の成長もありません。境涯を高めるには、自分で自分の限界を決めてしまわず、昨日の自分より、今日の自分は成長したと思えるような、そんな一日一日を生きていく、嫌なこと、辛いことがあっても、少しでも前進すること、それが、輝ける未来につながっていくものなのです。それでこそ、人生に悔いを残さず、充実した一生をまっとうできるのです。

トップへ

inserted by FC2 system